注册 登录  
 加关注
   显示下一条  |  关闭
温馨提示!由于新浪微博认证机制调整,您的新浪微博帐号绑定已过期,请重新绑定!立即重新绑定新浪微博》  |  关闭

朝遊碧海暮宿蒼梧

知识之败 慕浮名而不务潜修也 品节之败 慕虚荣而不甘枯淡也

 
 
 

日志

 
 

【日本】芥川龙之介:《寄给某个旧友的手记》(遗稿)  

2011-09-03 22:47:21|  分类: 侏儒的話 |  标签: |举报 |字号 订阅

  下载LOFTER 我的照片书  |

中文译

《寄给某个旧友的手记》

    无论哪个自杀的人都没有将自杀者自己的心路历程原原本本地写出来过。这大概是自杀者的自尊心所致,亦或者他们对自己的心理没什么太大的兴趣吧。而我在这封最后寄给你的信里,我想要将这样的心理清楚地传达给你,虽然我其实并不是非得要将我自杀的动机告诉你不可。雷尼尔([ 一八六四至一九三六 ] 法国诗人 小说家)在他的短篇中曾描写过某个自杀者,但是在这短篇中主角自杀的理由其实连他自己都不了解。你或许会说只靠写报纸的杂记生活很困苦啦、病痛啦、亦或者是精神上的苦痛啦,我猜想到时候你会为我找出许多自杀的动机吧。但是,以我的经验来看,那将不会是我动机的全部,最多只能说这些动机大致上是条通往我真正的动机的道路。自杀的人大多都像雷尼尔所描写的一样,理不清自己究竟是为何而自杀吧。跟我们的行为一样、在行为背后的动机也总是复杂的,虽如此,至少现在的我确实是茫然不安、我对我的未来是茫然不安的。你大概没办法相信我说的话吧,但以我最近这十年的经验,只要我的周遭的人没有跟我有类似经验的话,我的话语应该会像风中的歌一样消失,所以要是真变成那样,我也怪不得你吧……

  我在这两年间一直只想着死,最近这段时间,我开始仔细阅读麦兰德(Pilipp Mainlander(1841-76)业余哲学家)的书,他确实是抽象而巧妙地描写出向死前进的路径,但,我想描写的东西是更为具体的。对家人的同情在这种欲望之前什么都不是。对此,你大概不得不以 Inhuman 来评判我吧。只不过,这种作法要是真的没人性的话,那我大概就是具有没人性的一面吧。

  老实说,我觉得我有不得不真实记录的义务在。(我也曾把我自己对将来的不安加以解剖,而我在‘某个傻瓜的一生’中也已大致说明过了,虽然加诸在我身上的社会性条件-但是封建时代在我身上的投影,我故意没写出来。至于为何故意不写出来,这是因为到现在我们每个人仍或多或少活在封建时代的阴影中,而我再在那舞台之外加上背景、照明和登场人物等社会性条件-大多都已表现在我的作品当中,但是,只因为我自己也活在社会性条件中就认定自己一定了解社会性条件是不行的吧。)-我最先考虑到的就是要怎么死才能不痛苦,吊死应该是最符合这目的的手段吧。或许是我要求太多,但我只要一想到自己吊死的样子,我就感到一股出自美感的厌恶。(我记得曾在爱上某个女人时,只因为她的文章写的太差,就突然醒觉而不再爱她。)投水自杀对会游泳的我来说也是行不通的,就算可行那也还是比吊死痛苦多了吧。卧轨自杀的话也同样违背我的美学。用枪或刀自杀的话,很可能会因我手抖得太厉害而失败。从大楼跳下来毫无疑问会死得很难看。考虑到这些理由,我决定服毒自杀。服毒自杀应该会比吊死痛苦吧,但是跟上吊相比,服毒自杀不但符合我的美学,而且还有难以救活的优点。但想要弄到毒药对我来说当然不容易,因此我在决意自杀后,一方面想尽办法、希望能得到毒药,另一方面也积极学习毒药学的知识。

  再下来我考虑的是自杀的地点。我的家人在我死后仍要靠我遗产过活,不过我的遗产只有百坪土地、房子、我的著作权和存款二千元而已。想到我自杀之后房子会卖不出去我就很苦恼,这时我不禁羡慕起那些有别墅的布尔乔亚起来。你大概会觉得我说的话很可笑吧,我也觉得我现在说的话很可笑,但是,认真考虑起来这些现实问题在在都会对我造成困扰,可是困扰归困扰这问题也不容回避。现在只能期望在我自杀之后,尽量别让我家人以外的人看到我的尸体而已。

  但是,即便我已决定好自杀的方法,我心中仍旧有半分是想着活下去的,因此面对死,我需要一个跳板。(我不像西方人一样觉得死是种罪恶,连佛陀也在阿含经中肯定他徒弟的自杀。对佛陀的这种肯定态度,如果是强词夺理、哗众取宠之徒,应该不会甘于只说声“无可奈何”吧。但以第三者的角度来看,应该也有比“无可奈何”更非常而不寻常的、更悲惨而不得不的死。任谁都会想,自杀的人都是遇上“无可奈何的情况”才会去死,所以要是有人在遇到不得不的情况之前就毅然而然自杀,我们反倒该说他是有勇气的。)担任这个跳板的怎么说都该是位女性。克莱斯勒([ Heinrich von Kleist ] [( 一七七七至一八一一 )]德国剧作家 小说家。写实主义的先驱)在他自杀前也一直劝诱他朋友(男的)跟他一起死,另外拉西奴([Jean Racine] [(一六三九至一六九九)]法国剧作家)跟摩利耶尔([ Molire ] [ 一六二二~一六七三 ] 法国剧作家 演员。本名Jean-Baptiste Poquelin 法国古典喜剧的确立者)也企图一同和包尔([ Nicolas Boileau ] [( 一六三六至一七一一 ] 法国诗人 评论家。法国古典主义文学理论的确立者)一样跳塞纳河自杀。很不幸地我并没有这种朋友,不过我认识的女人应该愿意跟我一起死吧,但是为了我们两人还是别这么做比较好。在接下来的日子,我会培养不需跳板就能从容自杀的勇气,这并不是因为我找不到人陪的绝望才这么做的,应该说在思考的过程中我渐渐变得感伤,即便是要死也不想对我的妻子造成困扰,再者,一个人死也要比两个人一起死容易。一个人独自自杀的话,只要我下定决心随时都能死。

  最后,我还必须想出方法,如何才能巧妙自杀而不被家人发现。关于这个问题,在经过数月的准备后,我已有克服困难的自信。(细节方面,为了避免给帮我的人添麻烦,我不能写的太详细。当然,即便写出来也不至于构成法律上的自杀帮助罪。(这般可笑的罪名。如果这样就有罪,那罪犯的人数殊不知会增加多少。帮助我的药局、枪炮店或理发店,即便到时说‘不知情’,但是只要是人内心所想的定会不经意就表现在语气或表情之中,多少会被人怀疑一下吧。虽然我说应该不致于有罪,但社会或法律上仍有自杀帮助罪成立的例子,这些被定罪的人该是拥有多温柔的心呀。)我已冷静做好准备,现在不过是和死在玩游戏而已,接下来我的心境大概就会和麦兰德的讲法渐渐接近吧。

  我们人说到底还是人形兽,和动物一样本能地怕死,所谓的生活能力说穿了不过是动物性的能力,而我也只是其中一匹的人形兽而已。看看我对食色都已厌倦,我身属于动物的部分该是渐渐消失了吧。我身处在如冰一般透明清澄、病态般敏感的世界。我昨天跟一名娼妇一块聊他的债务问题(!)时,渐渐地越来越觉得“为了活下去而活”实在是人的悲哀,若能满足于永远的沉睡,对我们自身来说未尝不是种和平与幸福。我对我自己要到何时才能果决地自杀抱持着疑问,只得说自然对我来说比以前更美了。爱着自然的美并企图自杀、你应当觉得我的矛盾很可笑吧。但我还是要说,自然的美是映照在我末期的视线中的。我比别人都更深地见过、爱过、理解过,过程中相对的我累积了同样多的苦痛,也多少得到了满足。希望你在我死后几年内不要公开这封信。也说不定我最后不是自杀而是病死,这谁也说不准。

  附记.我读恩培多克勒([Empedokles][(西元前四九三ころ~前四三三ころ)]古代希腊哲学家?诗人?政治家?医师)的传记时,发觉人想要变成神的欲望是从远古前就开始有的。我的手记在我所知范围内,是不存有想变成神的意念的,不,应该这么说,我认为我自己是一个凡人。我还记得二十年前我和你在那株菩提树下,一起谈论‘埃特纳火山的恩培多克勒’的情景。在那个时候,我仍是想变成神的其中一人。

  昭和二年 1927年 七月 遗稿

日文原

《或旧友へ送る手记》


芥川龙之介


      谁もまだ自杀者自身の心理をありのままに书いたものはない。それは自杀者の自尊心や或は彼自身に対する心理的兴味の不足によるものであらう。仆は君に送る最后の手纸の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。尤(もつと)も仆の自杀する动机は特に君に伝へずとも善()い。レニエは彼の短篇の中に或自杀者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の为に自杀するかを彼自身も知つてゐない。君は新闻の三面记事などに生活难とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自杀の动机を発见するであらう。しかし仆の経験によれば、それは动机の全部ではない。のみならず大抵は动机に至る道程を示してゐるだけである。自杀者は大抵レニエの描いたやうに何の为に自杀するかを知らないであらう。それは我々の行为するやうに复雑な动机を含んでゐる。が、少くとも仆の场合は唯ぼんやりした不安である。何か仆の将来に対する唯ぼんやりした不安である。君は或は仆の言叶を信用することは出来ないであらう。しかし十年间の仆の経験は仆に近い人々の仆に近い境遇にゐない限り、仆の言叶は风の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。従つて仆は君を咎(とが)めない。……


      仆はこの二年ばかりの间は死ぬことばかり考へつづけた。仆のしみじみした心もちになつてマインレンデルを読んだのもこの间である。マインレンデルは抽象的な言叶に巧みに死に向ふ道程を描いてゐるのに违ひない。が、仆はもつと具体的に同じことを描きたいと思つてゐる。家族たちに対する同情などはかう云ふ欲望の前には何でもない。これも亦君には、Inhuman の言叶を与へずには措()かないであらう。けれども若()し非人间的とすれば、仆は一面には非人间的である。


      仆は何ごとも正直に书かなければならぬ义务を持つてゐる。(仆は仆の将来に対するぼんやりした不安も解剖した。それは仆の「阿呆の一生」の中に大体は尽してゐるつもりである。唯仆に対する社会的条件、――仆の上に影を投げた封建时代のことだけは故意にその中にも书かなかつた。なぜ又故意に书かなかつたと言へば、我々人间は今日でも多少は封建时代の影の中にゐるからである。仆はそこにある舞台の外に背景や照明や登场人物の――大抵は仆の所作(しよさ)を书かうとした。のみならず社会的条件などはその社会的条件の中にゐる仆自身に判然とわかるかどうかも疑はない诀(わけ)には行かないであらう。)――仆の第一に考へたことはどうすれば苦まずに死ぬかと云ふことだつた。缢死(いし)は勿论この目的に最も合する手段である。が、仆は仆自身の缢死してゐる姿を想像し、赘沢(ぜいたく)にも美的嫌悪を感じた。(仆は或女人を爱した时も彼女の文字の下手だつた为に急に爱を失つたのを覚えてゐる。)溺死も亦水泳の出来る仆には到底目的を达する筈(はず)はない。のみならず万一成就(じやうじゆ)するとしても缢死よりも苦痛は多いわけである。轹死(れきし)も仆には何よりも先に美的嫌悪を与へずにはゐなかつた。ピストルやナイフを用ふる死は仆の手の震へる为に失败する可能性を持つてゐる。ビルデイングの上から飞び下りるのもやはり见苦しいのに相违ない。仆はこれ等の事情により、薬品を用ひて死ぬことにした。薬品を用ひて死ぬことは缢死することよりも苦しいであらう。しかし缢死することよりも美的嫌悪を与へない外に苏生(そせい)する危険のない利益を持つてゐる。唯この薬品を求めることは勿论仆には容易ではない。仆は内心自杀することに定め、あらゆる机会を利用してこの薬品を手に入れようとした。同时に又毒物学の知识を得ようとした。


      それから仆の考へたのは仆の自杀する场所である。仆の家族たちは仆の死后には仆の遗产に手()よらなければならぬ。仆の遗产は百坪の土地と仆の家と仆の著作権と仆の贮金二千円のあるだけである。仆は仆の自杀した为に仆の家の売れないことを苦にした。従つて别荘の一つもあるブルヂヨアたちに羡ましさを感じた。君はかう云ふ仆の言叶に或可笑(をか)しさを感じるであらう。仆も亦今は仆自身の言叶に或可笑(をか)しさを感じてゐる。が、このことを考へた时には事実上しみじみ不便を感じた。この不便は到底避けるわけには行かない。仆は唯家族たちの外に出来るだけ死体を见られないやうに自杀したいと思つてゐる。


      しかし仆は手段を定めた后も半ばは生に执着してゐた。従つて死に飞び入る为のスプリング?ボオドを必要とした。(仆は红毛人たちの信ずるやうに自杀することを罪悪とは思つてゐない。仏陀は现に阿含経(あごんきやう)の中に彼の弟子の自杀を肯定してゐる。曲学阿世(きよくがくあせい)の徒はこの肯定にも「やむを得ない」场合の外はなどと言ふであらう。しかし第三者の目から见て「やむを得ない」场合と云ふのは见す见すより悲惨に死ななければならぬ非常の変の时にあるものではない。谁でも皆自杀するのは彼自身に「やむを得ない场合」だけに行ふのである。その前に敢然と自杀するものは宁(むし)ろ勇気に富んでゐなければならぬ。)このスプリング?ボオドの役に立つものは何と言つても女人である。クライストは彼の自杀する前に度たび彼の友だちに(男の)途(みち)づれになることを勧诱した。又ラシイヌもモリエエルやボアロオと一しよにセエヌ河に投身しようとしてゐる。しかし仆は不幸にもかう云ふ友だちを持つてゐない。唯仆の知つてゐる女人は仆と一しよに死なうとした。が、それは仆等の为には出来ない相谈になつてしまつた。そのうちに仆はスプリング?ボオドなしに死に得る自信を生じた。それは谁も一しよに死ぬもののないことに绝望した为に起つた为ではない。宁(むし)ろ次第に感伤的になつた仆はたとひ死别するにもしろ、仆の妻を劬(いたは)りたいと思つたからである。同时に又仆一人自杀することは二人一しよに自杀するよりも容易であることを知つたからである。そこには又仆の自杀する时を自由に选ぶことの出来ると云ふ便宜もあつたのに违ひない。


      最后に仆の工夫したのは家族たちに気づかれないやうに巧みに自杀することである。これは数个月准备した后、兎に角或自信に到达した。(それ等の细部に亘(わた)ることは仆に好意を持つてゐる人々の为に书くわけには行かない。尤(もつと)もここに书いたにしろ、法律上の自杀幇助罪(ほうじよざいこのくらゐ滑稽な罪名はない。若しこの法律を适用すれば、どの位犯罪人の数を殖()やすことであらう。薬局や铳炮店や剃刀屋(かみそりや)はたとひ「知らない」と言つたにもせよ、我々人间の言叶や表情に我々の意志の现れる限り、多少の嫌疑を受けなければならぬ。のみならず社会や法律はそれ等自身自杀幇助罪を构成してゐる。最后にこの犯罪人たちは大抵は如何にもの优しい心臓を持つてゐることであらう。 を构成しないことは确かである。)仆は冷やかにこの准备を终り、今は唯死と游んでゐる。この先の仆の心もちは大抵マインレンデルの言叶に近いであらう。


      我々人间は人间獣である为に动物的に死を怖れてゐる。所谓(いはゆる)生活力と云ふものは実は动物力の异名に过ぎない。仆も亦人间獣の一匹である。しかし食色にも倦()いた所を见ると、次第に动物力を失つてゐるであらう。仆の今住んでゐるのは氷のやうに透()み渡つた、病的な神経の世界である。仆はゆうべ或売笑妇と一しよに彼女の赁金(!)の话をし、しみじみ「生きる为に生きてゐる」我々人间の哀れさを感じた。若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、我々自身の为に幸福でないまでも平和であるには违ひない。しかし仆のいつ敢然と自杀出来るかは疑问である。唯自然はかう云ふ仆にはいつもよりも一层美しい。君は自然の美しいのを爱し、しかも自杀しようとする仆の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは仆の末期(まつご)の目に映るからである。仆は他人よりも见、爱し、且又理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少仆には満足である。どうかこの手纸は仆の死后にも何年かは公表せずに措()いてくれ给へ。仆は或は病死のやうに自杀しないとも限らないのである。


      附记。仆はエムペドクレスの伝を読み、みづから神としたい欲望の如何に古いものかを感じた。仆の手记は意识してゐる限り、みづから神としないものである。いや、みづから大凡下(だいぼんげ)の一人としてゐるものである。君はあの菩提树(ぼだいじゆ)の下に「エトナのエムペドクレス」を论じ合つた二十年前を覚えてゐるであらう。仆はあの时代にはみづから神にしたい一人だつた。


昭和二年七月、遗稿



芥川龙之介(1892年3月1日至1927年7月24日

       号“柳川隆之介”、“澄江堂主人”、“寿陵余子”,笔名“我鬼”。

       日本汉字:芥川竜之介;平假名:あくたがわ りゅうのすけ; 英文:Ryunosuke Akutagawa)

       于1927年三十五岁时,他抱着“希望已达之后的不安 或者正不安时的心情”(鲁迅语),以服致命的安眠药自杀的方式,结束风华正茂的年轻的生命......[ 7月24日,由于健康(一生为胃肠病、痔疮、神经衰弱、失眠症所苦)和思想情绪(“一半相信自由意志,一半相信宿命;一半怀疑自由意志,一半怀疑宿命” )上的原因,35岁的龙之介在自家寓所服用致死量的安眠药自杀,枕边搁置有圣经、遗书与遗稿。他的死,带给日本社会极大冲击,尤以文坛人士更是惋惜一个天才的早逝,1935年芥川龙之介自杀去世8年后,他的毕生好友菊池宽设立了以他的名字命名的文学新人奖“芥川赏”,现已成为日本最重要文学奖之一,与“直木赏”齐名。]

       在短短12年的创作生涯中,芥川写了148篇小说,55篇小品文,66篇随笔,以及大量的评论、游记、札记、诗歌等。他的每一篇小说,题材内容和艺术构思都各有特点,这是他在创作过程中苦心孤诣地不断进行艺术探索的结果。他的文笔典雅俏丽,技巧纯熟,精深洗练,意趣盎然,别具一格。在日本大正时期的作家中占有重要地位。为了纪念芥川在文学上的成就,从1935年起设立以他命名的“芥川文学奖”,它一直是日本奖励优秀青年作家的最高文学奖。

  评论这张
 
阅读(234)| 评论(0)
推荐 转载

历史上的今天

在LOFTER的更多文章

评论

<#--最新日志,群博日志--> <#--推荐日志--> <#--引用记录--> <#--博主推荐--> <#--随机阅读--> <#--首页推荐--> <#--历史上的今天--> <#--被推荐日志--> <#--上一篇,下一篇--> <#-- 热度 --> <#-- 网易新闻广告 --> <#--右边模块结构--> <#--评论模块结构--> <#--引用模块结构--> <#--博主发起的投票-->
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

页脚

网易公司版权所有 ©1997-2017